クルマは、単なる移動手段ではありません。ひとりで過ごす時間、誰かと共有する時間。その「状況」によって、移動体験は大きく変わります。では、その体験をどう設計すべきなのでしょうか。コンセプトカーへの実装を起点に、人間の認知特性、そして「気づき」の設計へ――。UX研究の第一人者・千葉工業大学の安藤昌也教授に、東京オートサロンでの当社展示を体験していただいた後、当社執行役員の大田馨子とともに、これからのクルマづくりを語り合っていただきます。
未来の体験を
「カタチ」にすること
まず、WELL Cabin Luxe(ウエル キャビン ラグゼ)やWELL Cabin Craie2(ウエル キャビン クレ2)を体験されての率直なご感想をお聞かせください。
安藤
面白かったですね。UXの分野って、アイデアや企画はいくらでも考えられますが、実際に「カタチ」にするのは大変です。しかし、それこそが非常に大事なことです。こうやって動くもの、実際に触れられるものがあると、リアリティーをもって体験できるので、非常にすばらしいと思いました。新たな体験を支える技術があることを確認できたのは、とてもよかったですね。
大田
ありがとうございます。実際に動く形にしてみて、はじめて見えてくることもたくさんありますからね。
安藤
透過型の大画面ディスプレイを導入したのは大胆な試みですね。大きく情報を出せる迫力も感じましたし、ああいうものをクルマに入れてみようという発想自体が面白いですよね。ほかには、指のジェスチャーをAIで分析して活用する試みも興味深かったです。デモンストレーションということもあり、非常に多くの機能を盛り込んでいるな、という印象です。技術的なポテンシャルを強く感じる、とても楽しい体験でした。
大田
仰るとおり、デモ段階ですので、可能性を広く提示している部分はありますね。もちろん、実装段階では機能を絞り込んでいく必要があると思います。
安藤
そこが難しいところですよね。人がクルマに乗るということ自体が、非常に特殊で複雑な状況。他の体験とは比べものにならないぐらい特殊なシーンですよね。家や職場などと比べると閉鎖的ですし、1人で使う場合もあれば、4、5人で使う場合もあります。その中で成立させるというのが、UXデザインの中でも「クルマ」の一番難しいところだと思います。企画的な面白さは、誰でも想像できます。でも、現実の運転や、自分以外の同乗者との関係の中でUXを成立させるのは大変ですよね。

UXの本質は
「利用状況」にある

クルマという特殊な環境における、UXの「本質」とはなんでしょうか?
安藤
そもそもクルマは、安全に運転できることが最優先です。安全という土台の上に、すべての便利な機能が成り立っています。その前提を外してUXを語ることはできません。
その上で、UXデザインで一番重要なのは、利用状況、Context
of
Useです。どのような目的で、どのような環境で使われるかという「文脈」が大事。クルマでいうなら、家族の送り迎えと、休日のドライブではまったく意味が違います。UXデザインとは「どこに焦点を当てて設計するか」ということ。「誰が乗っているか」以上に、「どんな状況でどう使われるか」が重要です。
大田
そうですね。クルマは1人で使う場合もあれば、4、5人で使う場合もあります。今お話に出た送り迎えでも、迎えに行くまでの時間はドライバー1人だけ。少しだけ自分の時間を楽しむデザインができます。2人になったら、日ごろ話せないような深刻な話も、クルマのなかだったらできるかもしれない。音楽を掛けるにしても、迫力のある音でクルマ全体を包み込むこともできるし、逆にシートごとに、私はオーディオブックを聴きたい、私は運転に集中したい、というような使い方もできる。単に機能を追加するのではなく「どういう時間を過ごしてほしいのか」という思いを持って設計していく。それは、「移ごこち」を追求するなかで、強く意識しています。
「注意」という資源と
「気づき」の設計が、
クルマのUXを決める
利用状況が重要だとすると、実際のUX設計ではどんな難しさがあるのでしょうか。
安藤
人間には「注意」という資源があります。人はどこかに注意を向けることで、その部分の情報処理がより詳しく行えるようになります。ただ、この資源には限りがある。何かに集中すれば、ほかのことには気づきにくくなります。
クルマの場合、主となるタスクは運転です。例えば運転しながら音楽を聴いているときは、運転が7割で音楽が3割くらい。これくらいなら大きな問題にはなりません。それが運転しながらの会話となると、注意が半々くらいになってしまう。すると、突発的な出来事への反応が遅れる可能性がある。こうした注意散漫は「ドライバーズディストラクション(Driver
Distraction)」と呼ばれ、事故の原因にもなります。主タスクを邪魔してはいけない。これはクルマのUXを考える上での基本です。

大田
ドライバーに与える情報を増やすことが、必ずしも価値にはならないということですね。
安藤
そうなんです。情報を出すこと自体は簡単ですが、受け取る情報が増えれば増えるほど人の認知負荷は上がります。だからインターフェース設計には、人間の認知特性への理解が前提となります。
人は本来ミスをする存在です。だからこそ安全機能が必要になる。ただ重要なのは、技術にすべてを委ねることではなく、ドライバー自身が「自分で運転している」と感じられること。心理学でいう「有能感」が保たれているかどうかが、体験の質を左右します。
そうした人の認知特性を踏まえて、パナソニック オートモーティブシステムズ株式会社ではどのような取り組みをされていますか。
大田
まだ製品にはなっていないのですが、私たちは今、とても難しいことにチャレンジしています。「ひと理解ロジック」と呼んでいるのですが、各種センサーを用いた車外の検知と、人の検知を組み合わせたブレインモデルを考えています。
例えば、公園の近くを走っているときにボールが転がってきたら、「子供が飛び出してくるかもしれない」と注意を向けますよね。でも同時に後ろから一定速度で近づいてくるバイクには気づいていない可能性があります。というのも、人は加速度が一定速のものに対して注意力が緩慢になってしまうという習性があるからです。
センサーで検知した情報をAIで危険度を推測し、複数の危険な事象が起こっているときに、人がどれに気づいていて、どれに気づいていないのか。いわば「認知のギャップ」を割り出して、気づいていない場合だけ安全への配慮を案内するような「認知支援をつくり出すしくみ」を開発しようとしています。

安藤
とても面白いですね。気づきをつくり出すという設計は、これからとても重要になります。ただ情報を出せばいいということではないですから。情報過多の時代だからこそ、ユーザーが自ら気づいた、と感じられるかどうかが大切です。
大田
私たちも、単純な警告表示にはしたくないのです。常に何かを知らせるのではなく、気づいていないものだけそっと補う。そこを目指しています。
安藤
その通りですね。気づきは単なる通知とは違います。その場の状況を読み、ユーザーが「出会えた」と感じられるかどうか。それが価値になります。
「クルマと共にある世界」の
再定義へ向けて
これからのクルマのUXは、どんな価値を担っていくとお考えですか。
安藤
クルマは個別の製品ではなく、社会の中で使われるものです。1台1台、そのクルマが良ければいいという話だけで成立しません。それに私たちはコロナ禍を経験して、空間を共有することの価値を改めて感じました。その場所に行かなければできないことがある。移動するという行為は、単なる移動ではなく、人生の重要な時間を共有することでもあります。
大田
まさに、移動が「時間の共有」になっていくほど、体験の質が問われると思います。その点では、私たちも研究・開発の途上です。知識としても検証としても、これから深めていく必要があります。
当社では、長年「ひと研究」を続けてきました。人がどのような環境で心地よいと感じるのか、どのような刺激に安心感を覚えるのか。そうした人の感覚や認知特性について、地道に理解を積み重ねてきました。
ただ「心地よさ」という言葉は、とても抽象的です。だからこそ、その感覚を漠然とした印象のままにするのではなく、何がその感覚を生み出しているのか、一つひとつ丁寧に見ていくことが大切だと考えています。その先にロジックやエビデンスをつくり出すことが求められます。
それをどう活かし、「状況に応じた設計」に反映させるか。まだまだ発展の余地は大きいと考えており、そこに本気で取り組んでいきたいと思っています。移動空間における「安心や心地よさ」をより深く理解し、研究し続けることが、これからのクルマづくりを支える基盤になると考えています。
安藤
将来的には、クルマがセンシングした個人のデータを、クルマの中だけでなく生活や他産業でも活用できれば、新しい価値も生まれるかもしれません。クルマという個人にとって非常に身近な乗りものの利用状況から得られる知見を、別の状況へつなげていく。そこにも可能性を感じています。クルマと共にある世界は、いま再定義のタイミングに来ています。利用状況の中で自然に成立する体験を設計できるかどうか。それが、これからのクルマづくりを左右するでしょう。

安藤 昌也
千葉工業大学
先進工学部
知能メディア工学科 教授
大田 馨子
パナソニック オートモーティブシステムズ株式会社
執行役員
ジャパン・チーフ・エグゼクティブ・オフィサー (Japan CEO)
